世界から顔が消えたなら

『人間が想像できることは、人間が必ず実現できる』

とは、ジュール・ヴェルヌ氏の言葉で、私が好きな言葉の一つですが

どうだろう?

前ページに書いたようなことは、医学的&科学的になんの知識もない私の想像&妄想なので、まだまだ実現からは遥か遠いSFの世界の話かな。

内面(脳や精神)が、外見(身体)にどう作用するか。

外見(身体)が、内面(脳や精神)にどう影響を及ぼすか。

さまざまな医療や科学技術の進化。

またそれに関する倫理的な問題。

そして、命は限りあるから尊いということ。

身体は代わりがきかないからこそ、大切にすべきであること。

などに対する考えや議論は、ここではおいておくとして……

こういった想像や妄想の先に考える私なりの

『もしも世界から顔がなくなったら……どうやって周りの人は、私を私と認識してくれるのだろう?』

という問いに対する答えは、今のところ

記憶かな、と。

脳によって個人を識別し、その人たらしめるとしても、脳が持っているデータのうち“知識”の領域は、量の差こそあれ誰にでも習得可能なもの。

“調べれば分かること”は、個人の識別にほとんど寄与しないのでは。

(身体を取り替えても、前の身体で肉体的に習得していた技術を引き継げるのかの問題もここではおいておきます)

たとえば、前ページに書いたことが現実となった世界で、私の脳が他の顔(外見、身体的特徴)に不本意な形で差し替えられたとして

また、私の顔(外見、身体的特徴)を他の人の脳に乗っ取られたとして

見た目が私でもそれは私ではない

見た目が他人でもこれは私なんだ

ということを分かってもらうために必要なものは、誰かとの間に共通してもっている記憶以外にないのでは?と思うんですよね。

名前や生年月日、これまでの経歴などの客観的事実や、自分は○○を知っているよ!なんていう学習によって得られる知識は、他の人でも答えられるので、私を私と分かってもらう材料としては弱い。

でも

あの日あの時あの場所で一緒に○○したよね

あの時○○を見て、私驚いてこう言ったよね

君は○○の時、私が△△したから怒ったよね

なんていう、これまで一緒に過ごした時間の中で積み重ねてきた共通の記憶のあれこれが、大切な人を大切な人たらしめ、その人と他の人と区別するし

大切な人に、その他大勢の人の中から自分を見つけてもらい、“これは私”だと認識してもらう鍵になるのでは、と。

そんな訳で、自分一人だけの記憶ではダメで、誰かとの間のやりとりや体験を通した記憶こそが、『何がその人をその人たらしめるのだろう?』という問いの答えになるんじゃないかなぁと思うのです。

(いや、やりとりや体験を通した記憶でなくても、その人独自の思考が見て取れればそれでもいいのか?

でもその人独自の思考を他人がその人らしさと認識するためには、なんらかの媒体が必要なわけで……それはやはり、共通の記憶になるのではないか。。。)

スポンサーリンク




シェアする

フォローする

スポンサーリンク